豊功神社
3つの見どころ
見どころ
01
満珠・干珠と日の出
風光明媚な絶景が境内から眺望できます。
※季節によって日の出の場所が変わります

見どころ
02
宝物殿
御祭神ゆかりの御宝物は約百十点に及んでいるが、その中でも茶道に造詣の深かった藩祖秀元公に相応しく茶道具の名器逸品が目立つ。特に寛永 十七年(一六四〇)九月十六日、秀元公が亭主となって将軍徳川家光や御三家、幕閣、諸大名などを将軍家の品川御殿に招いて開いた大茶会で使用された「瓢簞釜」や「利休茶杓」などは、茶人大名としての秀元公の名を不朽たらしめる価値を有している。


宝物館拝観について

事前受付にて、拝観できます。
拝観料は二〇〇円となっております。
長府藩初代藩主毛利秀元公の御愛用茶器や長府藩報國隊が官軍として戦った証である、錦の御旗などが収蔵されています。
見どころ
03
長府藩報国隊顕彰碑

元治元年(一八六四)八月、京都禁門の変に敗退した長州藩に対し、幕府は征長令を下した。幕府に恭順の萩本潘俗論党政府から、圧迫を受け解隊を迫られた奇兵隊を中心とする諸隊は、同年十一月、五卿を護衛し長府功山寺に入った。
元治元年十一月二十三日、風雲急を告げる時勢に奮起した長府藩の青年藩士、熊野直介、福原和勝ら二十名が豊功祠前において、決死報国の盟約を結び、八十六名の加盟を得た。
慶応元年(一八六五)一月十八日、有志数十人が豊功祠前に参拝し、 国家安全を祈り、報国隊組織上申書を作成し藩主に提出、同年二月十四日、報国隊の設立が許可された。
奇兵隊に準じ、武士以外の者も入隊を許し結成された報国隊は、小倉戦争および北越戦争に従軍、特に北越戦争には四百五人が出陣、百五十余日にわたる転戦中、五十七回の激戦に戦功を立て官軍を勝利にみちびき、明治維新の鴻業に偉大な足跡を残した。
下関市立長府図書館 館長 中原郁生 撰文
境内図
